最古級の層塔式天守である小倉城にみる天守台平面の大きな歪みについて

城郭ファンの皆様では天守をはじめ高層の城郭建築には「望楼型」「層塔型」の区分があるのはご存じのことと思います。御殿建築の入母屋造りの屋根の上に物見の望楼と呼ばれる施設を載せたものが天守の始まりで、天守台石垣が正確な矩形でできない時代は望楼型の建築が始まりで、層塔型は石垣技術の発展によって、矩形の天守台が築造されてから流行し江戸時代には主流になっていったと一般に言われています。
小倉城の天守は関ヶ原の合戦後に豊前国主になった細川忠興によってつくられたもので、その江戸周期に焼失したものの、諸記録から1610年(慶長十五年)ごろ築造されたといわれており、藤堂高虎によって初めて層塔型天守が築かれたという今治城天守あたりとはそんなに年代が変わりません。
私は、小倉城に訪問する機会が多く、天守台廻りを見る機会に恵まれているのですが、気になることが一つありました。層塔型天守は基部の天守台石垣が矩形に正確に作れないため、その普及が遅れたという学説です。小倉城の天守台は、思いっきり歪んでいます。つまり、歪んだ天守台平面と層塔型天守の先駆けとなったこの城郭の矛盾ですね。
最近は研究も進められているようで、この課題を解決するため、最下層を石垣からはみ出して建てている復元図も見られます。高松城や萩城、熊本城天守のようにです。なるほど納得!と最初は思いました。でも疑念が・・・・
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