福岡城天守は実在したか(6)

最近の城ニュースから

発掘範囲の拡大検討の報道を見て

西日本新聞2025年8月22日報道の「福岡城調査、発掘範囲の拡大検討 着手2カ月、遺構の出土なく」という見出しを見つけました。

2025年10月現在、福岡市から発掘成果の成果が報告されていないので、天守台から天守の存在を証明する遺物が出てくる可能性は、低くなったのではないでしょうか。また、瓦片や木片、陶磁器などが発掘されても、天守に用いたような大型の鯱瓦とか明瞭に判断できるものでなければ、「天守なかった」派の方からは、江戸期に存在して取り壊されたという天守内の蔵の遺物と主張される可能性も高いと思います。

天守の存在論争に終止符を打つには、天守台の発掘は必要です。ただし、天守の存在する、しなかったに拘わらず何も出てこないというのは、あり得ることではないでしょうか。天守が築20年くらいで解体されたとすれば、どのようなやり方になるでしょうか。戦火による落城や天災による落雷・失火などで燃え落ちたとか、廃城後に後先考えずに打ち壊したとなれば、地中から何らかの痕跡が出てきそうに思います。

しかし、天守はあったが自主的に解体したということなら、再利用するため瓦や木材は大事にされて持ち去られると思いますので、発掘成果なしでも不思議はないように思います。まして、その後に蔵を建てていたのなら建てる前に天守台内の異物を除去して整地しそうです。

ただし、再利用するため持ち運ばれたなら、大量の瓦と材木なので何か再利用の逸話や記録があっても良さそうです。何も出てこないというなら、案外本当に天守台には天守が建てられなかったのかもしれません。いずれにしても、福岡市からの正式な発表を待ちたい話題です。