私は、昭和からの城マニアです。昭和期の城郭本は発刊数も少なく、中津城も本来は天守がない城で現在あるのは史実にないものを鉄筋コンクリートで新造されたもの(模擬天守)と批判的に書かれているものが多かったように思います。実際、今の天守があった場所には天守台は設けられていなかったようで、昭和30年代の古書で確認すると、石垣を積み足して天守台を新造して上物を載せていることがわかります。模擬天守石垣から最下層がはみ出していますが、これは石垣隅部が直角でないことが影響しているのでしょう。現在の中津城「天守閣」が萩城天守に外観を似せているのは最下層のはみ出しが模擬天守の設計者に影響を与えたのでしょうか。
中津城の不思議

中津城を見ていつも思う疑問点がいくつかあります。
その一 およそ要害と思えないその立地
その2 典型的な平城であるが、海城、水城というほど幾重もの水堀を巡らした縄張りではない。
その3 本丸は城下町とほとんど比高差がなく、軍事的には高層の物見(天守)は必要だったのではないか
蛇足ですが
1 古本で確認しましたが、天守台石垣を旧来の石垣の上に積み足して新造してます。
2 これも古本で確認しましたが模擬天守には当初高欄がありましたが、老朽化でしょうか、今は撤去され代わりにフェンスで囲ってます。
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