2025-09

戦国古城の旅

豊臣兄弟ゆかりの名城を行く 伏見城

9月上旬午前に最初の目的地 大和郡山城を訪問後、近鉄郡山駅に戻り電車で北上します。次の目的は旧伏見桃山城キャッスルランドの「伏見城天守閣」です。訪れるのは約45年ぶりになります。電車で伏見駅まで着いたところで、行き過ぎたことに気づいて桃山御...
城ファンの一考察

福岡城天守は実在したか(3)

福岡城を描いた最古の絵図『福博惣絵図』1646年(正保3年)に福岡城を描いた最古の絵図『福博惣絵図』には天守は描かれていません。「天守台」と表記されています。一方で天守台に連なる石垣(小天守・中天守台)には矢倉跡との表記があります。『福博惣...
城ファンの一考察

中津城天守は実在したか (2)

私が中津城があったに違いないと考えている理由を今回補足してみます。「天守の欄干」という具体的な文献資料の存在を考える注目したいのは、文禄2年(1593年)に亡くなった黒田家家臣の小河信章の跡を継いだ小河之行の長政あて書状です。そこには天守の...
戦国古城の旅

豊臣兄弟ゆかりの名城を行く 大和郡山城

2026年NHK大河ドラマの主人公、豊臣秀長の城です。
城ファンの一考察

福岡城天守は実在したか(2)

巨大な福岡城天守台 石垣勾配が直線的で緩やかなのが特徴「天守はなかった」説から考えてみる福岡城天守がないと主張されてきた理由を、書き出してみました。1 徳川幕府への遠慮2 黒田如水(官兵衛孝高)が合理的で今後の時代に天守が不要と考えていた。...
城ファンの一考察

福岡城天守は実在したか (1)

現在論争になっている福岡城に天守が存在したのか、城郭愛好家の考察を行います。
唐造り

小倉城唐造天守について(2)

石垣の歪み問題は層塔型天守の創始には影響が限定的だったのではないかという考察 写真は平面的に見えるのでわかりにくいと思います。石垣隅部からの建物と石垣の接合部が曲線を描いているように写っています。しかも真ん中あたり外壁が少し、石垣がはみ出し...
マニアの独り言

お城めぐりで気を付けたいこと

写真撮影で不審者と間違われないように趣味が高じると、良い写真を撮りたくなります。「撮り鉄」という鉄道マニアの方たちがいます。ネット動画などで傍若無人に振舞う一部の彼らを見ると、城跡で写真を撮りまくる自分は大丈夫かと自省しております。城撮影は...