日本には多くの城跡が残されており、天守を筆頭に石垣、堀など様々な見どころがあります。
しかし、城の構造や種類を知ってから訪れると、城めぐりはさらに楽しくなります。
ここでは、日本の城の基本と見どころを、初心者の方向けに解説します。
天守とは
・天守の役割
日本初の天守はどこか諸説ありますが、日本全国に現在見られるような城のシンボルタワーとしてお城イコール天守のイメージを与えたのは織田信長の安土城からだと思われます。安土城は地階を含めて7階建ての五重の高楼で、内部は障壁画で飾られた書院造の御殿であったと伝えられています。安土城の後に建設された大坂城の天守も同様に豪華な書院造で、瓦や外壁も安土城同様に金を用いた豪華な飾りで諸国の人間の度肝を抜いていました。
その後に、これらを真似て造られた諸大名の天守は、遠方を見るしか実用性がないことから内部が徐々に簡素化されてゆき、江戸時代に入ると内部は武器庫として使用されるくらいしか用を足さなくなっていきます。(簡素化の例:天井が張られていない彦根城天守、丸亀城天守)


天下人の城である安土城・大坂城以降の天守は、シンボリックな外観はそのままに、居住性が失われ豪華絢爛な書院造の部屋は本丸や二の丸の御殿建築へ役割分化されていきます。

日頃は維持経費の掛かる無用の長物であっても、天守は、城の象徴的な建物としての役割を果たしています。現代の一般の人々が城の一要素である天守をお城と認識するくらいに、観光面で「城」と「天守」が同一に考えられています。
現存天守とは
我が国に建てられた天守の総数はいくつあるのでしょうか。存在が不明の物から、史実にない現代の新造天守まで数十から百件台くらいであろうと推測します。
江戸期までに建てられ、文化財として今日まで残されている天守は12城です。江戸期に全国に残されていた天守も多くが失われました。
このブログでは、残された現存天守について紹介や考察を今後も随時進めていきます。
現存12城とは
姫路城・松本城・松江城・彦根城・犬山城・高知城・伊予松山城・宇和島城・備中松山城・丸岡城・弘前城・丸亀城 です。
天守の種類
天守の種類(建て方)を構造的に見ると望楼型と層塔型に大別できます。
望楼型
望楼型は、入母屋造りの建物の上に小型の展望用の小屋(望楼)を載せた形式の外観になります。入母屋造の平屋の上に望楼を載せたようなもの(例:丸岡城)が大きくなると、入母屋造の建物が重箱状(2階建て)になり、望楼も大きくなる例もあります(例:松江城)。建物の基部の屋根に「入母屋破風」が必ずできるので、正面からは立派に見えます。側面から見るとまるで違う建物のようにも見え、見ごたえのある外観となります。

層塔型
関ヶ原の戦い後の、元和年間以降に主流となった型式で、望楼型に比べると新型と一般に理解されています。上から下までのデザインに規則性・統一感があり、望楼型のように大きな入母屋屋根の基部を持たないので、平面が長方形の天守は少なく、1層から最上層まで矩形で建築されるものが多くなります。
このため、四方から眺めても似た外観になるところが、望楼型とは対照的です。

城の主な構造
・本丸とは
城を築くにあたっての基本的な平面設計を縄張(なわばり)といいます。堀や土塁・石垣で囲まれた区画を曲輪・郭(くるわ)と呼び、通常は〇〇丸と名称されます。本丸は曲輪の内で城主の最終拠点となるもので、本丸を主郭にして周囲を二の丸、三の丸、西の丸、出丸といった曲輪を配置します。天守が置かれるのは、一部の例外を除いて本丸に置かれるのが通例です。
・二の丸とは
本丸に隣接した重要な曲輪の一つです。江戸時代の城郭では、本丸より二の丸の方が城下に近く、面積が広い場合もあることから、藩士の政庁となる御殿が設けられる例も多くあります。(例:篠山城・二条城など)

・石垣
城を構成する基本的な防御施設として、中世の多くの山城では山の斜面の緩い部分を削って崖を造り防御としていました(切岸)。やがてこれに、横堀・竪堀など手が加えられ土塁も構築されていくようになります。最終的には土木技術の発達に伴い、これら防御施設には堅牢な石垣が用いられるようになりました。安土桃山時代になると、織田信長の築城に影響を受けた織豊系の石垣づくりの城が西国を中心に普及していくようになりました。天守のような重い建物を曲輪の際に建てる必要からも、土塁の表面に石材を積んで強化した石垣が発達していきます。

・堀について
堀は土塁・石垣とともに城の防御の要となるもので、水堀の他、空堀、畝状竪堀などの形態があります。規模も城郭の大きさに比例してきますが。平地に築かれた近世の城郭では、広大なものも多くなります。


