小倉城は福岡県内では唯一、天守を見学できる城です。
そして、この城最大の特徴は全国でも珍しい唐造り天守です。
また、現地では天守台の歪みも確認でき、築城技術の変遷を感じられる城です。
小倉城の概要
豊前の国小倉は九州と本州をつなぐ要地にあり中世から城が築かれていたようです。戦国期からの近世城郭への歩みは戦国大名毛利氏の築城からで、高橋鑑種、毛利勝信の時代を経て整備され、現在の規模にしたのは細川忠興とされています。関ヶ原の合戦後に、徳川家康から豊前国へ大幅加増されて転封された細川忠興は1602年(慶長7年)頃から築城を開始して、1610年(慶長15年)頃には唐造り(南蛮造り)の層塔型天守を設けたとされています。江戸期は1637年(寛永14年)以降小笠原家が入城し幕末まで居城しています。
今回話題の唐造り天守は1837年(天保8年)に焼失し、天守を失った小倉城は、その後幕末期に、長州藩との戦いに巻き込まれて焼失し、藩政の役割を終えていきます。
明治期以降は、帝国陸軍の司令部が置かれていました。城内の石垣にも軍部による改変の後を確認することができます。現在の天守は1959年(昭和34年)に再建されたものです。
| 所在地 | 福岡県北九州市小倉北区城内2-1 |
| 築城時期 | 1569年(永禄12年) 1602年(慶長7年)細川忠興 |
| 天守 | 4重5階(RC構造・復興天守) |
| 入場料 | 一般500円 中高生300円 小学生150円 |
| 見学時間 | 60分 |
| 営業時間(天守) | 9:00~20:00 |
| 駐車場 | 小倉城勝山公園駐車場 |
小倉城へのアクセス
小倉城は、北九州市小倉北区の都心部近くにあり、比較的交通アクセスも良好です。自家用車の場合は城周りに勝山公園など駐車場が複数あります。鉄道の場合はJR西小倉駅(日豊・鹿児島本線)が最寄り駅ですが、新幹線・特急利用の時はJR小倉駅下車して小倉城口(南口)方面に出ます。駅前広場から見て右側にある人通りの多いアーケード商店街を歩いていけば、徒歩15分くらいで着きます。


食事など小倉の街並みを歩いて楽しみたいなら小倉駅下車、時間がなく、あまり歩きたくない人向けは西小倉駅下車です。


天守台石垣の水堀対岸にリバーウオークというアミューズメント商業施設があり、この建物のテラスから、ほぼ真横位置の天守を高い位置から撮影できます。また、北九州市役所庁舎も近接しており、市庁舎のビルが景観を阻害しています。
先日、北九州市を訪れた機会に小倉城に来ましたが、天守と市庁舎、商業施設との建物間距離は、どちらも200メートル無いようでした。天守より大きな近代建築が真横にあるのは小倉城だけだと思います。天守内部も「日本一おもしろき城」にという、都心にある復興天守ならではの、逆の発想を行く現代的なアミューズメント性の高さを出して城の個性としています。

唐造り(南蛮造)天守とは
小倉城天守は四重五階建ての天守で、その最上階の五階で廻縁(まわりえん)が外側に張り出しており、そのままでは雨水による腐朽の恐れがあるため雨戸を廻縁の縁先に建てて、廻縁を室内に取り込んでいました。結果として、四階より五階の方が大きくなり、四階では屋根も不要となります。
このスタイルの天守は小倉では「唐作」と呼称されたようで、佐賀・津山・高松の天守にも当時の先進例として参考とされたようです。近代では南蛮造りとも呼称され、昭和の城郭書籍では南蛮造りと呼称されているケースが多かったと記憶しています。この小倉城が普及させた唐造り天守は層塔式天守に多くみられるものですが、先例としては望楼型の岩国城天守(古図により昭和復興)もあります。
唐造り天守は、復興天守ですが小倉城と岩国城で見ることができます。


最古級の層塔式天守と想定される小倉城の天守台平面の大きな歪みについて

天守のような高層の城郭建築には「望楼型」「層塔型」の区分があります。天守の初期形態は望楼型といわれ、入母屋造りの屋根を持つ御殿の上に、望楼と呼ばれる物見の階を載せたもの(望楼型)が想定されています。
具体的には犬山城や丸岡城が例として挙げられます。
戦乱に明け暮れていた年代は、城の石垣、特に高さが要求される天守台石垣が正確な矩形(長方形)で築けないために、初期の天守は入母屋屋根で建物を矩形に調整がしやすい望楼型で建築され、江戸時代に入って天守台石垣を正確に矩形に築けるようになってから、直角の四角い箱を積み上げたような層塔型が主流となっていったと一般に説明されています。
この小倉城の天守ですが、関ヶ原の合戦後に豊前国主になった細川忠興によって建てられたものです。諸記録から1610年(慶長十五年)ごろにはすでに存在したといわれてます。藤堂高虎によって創建されたといわれている層塔型天守で築かれた丹波亀山城天守(1609~1610年頃)と比べても、それほど時期が変わりません。小倉城天守で特筆すべきは、屋根に破風を持たないこと(ここは丹波亀山城と共通・昭和復興小倉城天守は破風あり)、最上階がその下階より張出して大きいことです(岩国城と共通)。この特徴は当時の人達からは珍しいものと考えられ唐造りと呼ばれていたようです。
他に小倉城で、私が注目するのは1階平面の大きさです。江戸、大坂、名古屋の天守は、天下普請という徳川幕府の命で全国大名に築かせているため、巨大なことはある意味当然ですが、外様の一大名に過ぎない小倉城天守の1階平面は15間×13間もあり、日本で4番目の規模を有していました。
江戸時代の小倉城絵図を見ると、天守以外の櫓は二重のものもありますが単層の櫓(平屋建)が多く、熊本、岡山、広島城あたりと比べると城内で天守のみが目立って大きい、一点豪華趣味な築城であったことがわかります。
私は、生活圏が小倉城に近く、比較的訪問機会に恵まれていますが、気になることが一つありました。天守台の石垣です。小倉城天守は当時、層塔型です。層塔型天守は基部の天守台石垣が正確な矩形に築造されないため、普及が遅れたといわれています。
小倉城の天守台は、現地を見ると平面が歪んでいます。つまり、歪んだ天守台平面と最初期の層塔型天守である小倉城との認識にギャップを感じていました。(ちなみに現在の小倉城復興天守は大入母屋のある望楼型天守で建てられています。)
最近は研究も進められているようで、この問題を説明できるものとして、最下層を石垣からはみ出して立ち上げた復元図も見られます(実例:高松城や萩城、熊本城天守)。
なるほど納得!と最初は思いましたが、別の思いも生じてきました。
このような例を見るかぎり、石垣の平面の歪み問題は、層塔型天守の創始にはあまり影響がなかったのではないかということです。

石垣の歪み問題は層塔型天守の創始には影響が限定的だったのではないかという考察

写真は立体感がなく平面的に見えるのでわかりにくいと思います。手前の石垣隅部から、建物と石垣の接合部が曲線を描いているように写っています。しかも右側真ん中あたりの外壁は少し、石垣がはみ出しています。天守台が歪みをもって築かれていることがわかると思います。
私は古建築の歴史には精通していませんが、考察するに屋根が寄棟となる層塔型といえる建物は3重程度であれば、室町期の金閣・銀閣や安土の南蛮寺(1676年)があったようです。これは高石垣を築いてその上に建物を載せたものではありません。土や石垣で盛った基壇を持たずに、平地にそのまま立ち上げたもののようです。また、天守の早例である豊臣氏大坂城や蒲生氏郷の会津若松城は、建物の安定を図るためか、天守より一回り大きな天守台を造成し、天守はその隅部に寄せて建てており、天守台に空間を残しています。豊臣氏の大坂城などは望楼式の天守であったことは絵図から明白ですが、大きな天守台に2辺を寄せて建てれば最上階の屋根以外は寄棟にした造りの五重天守(すなわち層塔式天守)は技術的に可能だったのではなかろうかと考えたりします。
会津若松城の創建天守は時代的に望楼型の五重天守の想像復元図が書籍で紹介されていましたが、天守台石垣に余地を残して建てられた層塔型五重天守の可能性はゼロではないと思います。案外、明治期まで残った古写真に写る天守の外観は創健時のものと、ほぼ同じという可能性はないのでしょうか。
確かに天守台の端いっぱいに建物を載せて、石垣の歪みを解決するためには、下部に入母屋屋根を持った望楼型が適しているのは理解できます。
このため、全国的な傾向を見れば、天守の発生時期は望楼型が主流であったと思いますが、全国各地の戦国大名では独自の技術で建てられた層塔型の天守も少ないとはいえ存在していたのではないでしょうか。
例えば、松本城天守は大入母屋の屋根を持たない層塔型であるのに年代は、関ケ原前(1590年代)までの遡れます。望楼型の犬山城は、一階平面の歪み(=天守台石垣の歪み)を建物基部の入母屋屋根で修正せず、腰屋根の一重の屋根で修正しています(同様例に1850年再建前の和歌山城天守)。
このように、地方の大名が其々の築城技術を競いながら個性的な形で開花させたのが日本の城郭・天守で、見るものを飽きさせない姿を現代でも見せているのです。
会津若松城天守はこちら
松本城天守はこちら
犬山城天守はこちら
和歌山城天守はこちら
FAQ
・小倉城の見どころは?
小倉城天守ですが、木造の現存天守はありません。RC造りの復興天守ですが、観光施設として魅力がないわけではなく、市街地の中心にあることで小倉の都市観光の一環として楽しめる城ミュージアムとして改装されています。
・写真の撮影スポットは?
最も小倉城天守の魅力が反映されるのは、水堀の上に聳え立つ高石垣上の姿です。
隣接するアミューズメントビル(リバーウオーク北九州)の4階テラスからは高い位置で真横に天守をとらえた写真が撮れます。
・撮影の時期や時間帯は?
春には城内の植えられた桜が咲いており見事です。また、夜はライトアップされているので、映画やディナー後の散策に適しています。


