豊臣兄弟ゆかりの名城を行く 伏見城

戦国古城の旅

 9月上旬午前に最初の目的地 大和郡山城を訪問後、近鉄郡山駅に戻り電車で北上します。次の目的は旧伏見桃山城キャッスルランドの「伏見城天守閣」です。訪れるのは約45年ぶりになります。電車で伏見駅まで着いたところで、行き過ぎたことに気づいて桃山御陵前に戻り下車します。駅横のラーメン屋さんで豚骨スープのラーメンをいただき、伏見桃山城に歩いて向かいます。

伏見城について

伏見城の概要

 伏見城は、京都市伏見区に存在した桃山丘陵地にある平山城です。伏見城は三度に渡って築城されています。最初の城は朝鮮出兵開始後の1592年(文禄元年)8月に豊臣秀吉隠居所として伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設を始めたそうです。このときの城を指月伏見城と呼びますが今回の訪問地ではありません。この城は慶長の大地震で倒壊し廃城となっています。

その後に、近くの木幡山(桃山丘陵)に再築されたものは、木幡山伏見城と呼んで指月の伏見城とは区別されます。さらに木幡山伏見城は豊臣期のものと、関ケ原合戦の前哨戦で焼失した跡に徳川家康によって再建された徳川期とに分けられます。

焼失した木幡の伏見城は1602年(慶長7年)ごろ徳川家康によって再建され、1619年(元和5年)に廃城とされたようです。廃城時の建物や部材は、全国各地の城(二条城、淀城、福山城)などへ移築されました。伏見城の跡は桃の木が植えられて桃山と呼ばれるようになり、伏見桃山城や安土桃山時代の名の起こりになっています。

伏見城の移築建造物

移築された福山城の伏見櫓。下層の外壁は柱が露出した真壁造りの望楼型三重櫓で、徳川期の伏見城の姿を想起させてくれます。

徳川期に廃城になった伏見城の移築建造物は、確実なものとして福山城で見ることができます。他に有名どころでは、皇居の二重橋の伏見櫓がありますが、未だ移築の事実は証明されていないようです。

江戸城西の丸 伏見櫓 美しい姿です。外観的には江戸オリジナルの櫓のようにみえます

伏見桃山キャッスルランド跡地(伏見桃山城運動公園)へ向かう

 桃山御陵前の駅から、東の丘陵地へ記憶を頼りに大通りを歩きます。ほどなく行くと左側に神社があり入口の門が見えて来ます。ここは御香宮神社というところで、案内看板を見るとこの門は、伏見城の表門移築建築とあります。お宮本殿には参拝せず門の写真ばかりを撮影します。神社さんすいません。

御香宮神社の門です。鯱を屋根に乗せているあたりが、かつての伏見城城門らしさを示しています。

この旧伏見城城門を後にして、再び桃山丘陵地に地図に従い進みます。丘陵地の坂道で整備された舗道を歩きますが、交通量も少ない洛南の高級住宅地という風情でした。そうはいっても最近の9月上旬の暑さです、この坂道は歩きには結構きついところでした。長い坂が続き伏見城は平山城であったことが実感されます。

駅から1キロ半くらい、20分くらい歩いて汗だくになりました。伏見桃山城入口の案内とガランとした駐車場が見えてきます。自販機でペットボトル購入、水分補給します。

時代に置いて行かれた模擬天守

城内エリアに入るところにある模擬城門。石落しの不自然な配置やはげかけたコンクリの塗装、門内のチケット売り場跡が、この城が観光城であったことを忍ばせます。
伏見桃山城模擬天守 かつては色鮮やかな朱塗りの柱も今では、くすんでいます。

この模擬天守は花畑跡という城域内に建造された観光城です。洛中洛外図池田本に描かれた内容を参考にしているそうですが、初層から最上層まで徐々に逓減し、入母屋屋根の破風、比翼千鳥破風、唐破風の配置が優れています。半世紀前にみたこの天守は、色彩も破風等の細部の造りも丁寧で小天守とのバランスも良く、史実と関係ない模擬天守としては佐賀県唐津城と並ぶ出来の良さだと思っていました。思ったよりは廃墟にならず管理されていましたが、訪問する人もほとんどいません。かつての遊園地があった賑わいとは別世界で、現在社会の栄枯盛衰の時の流れを感じます。

鯱が撤去された小天守。柱や欄干のくすんだ赤がむしろ「昭和の古城」の趣を伝えるようです。

思い出の感傷に浸るのもここまで、本来の城跡・本丸天守台のあったという桃山御陵に向かいます。

桃山御陵へ歩く

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伏見城主郭の現在

木幡山の伏見城の本丸などの主要部分は、現在は明治天皇の陵墓エリアになっており立ち入ることができません。陵の敷地の桃山は、豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地に陵墓を遠目にみることができます。

ここまで伏見城模擬天守のある運動公園駐車場から歩いてくるのに、15分以上あります。夏場では結構な体力と時間を使います。静かな参拝道を歩き進むわけですが、宮内庁の管理地側すなわち伏見城側を木々の間から様子見します。崖地が確認されると郭の外縁・堀切跡かと思うわけですが確認できません。

写真中央の白い光は、池状になった部分です。何らかの郭の堀跡かとも想像しますが実際のところ立ち入りもできないのでわかりません。

途中、へばって脱水症状を起こしたのかふくらはぎを攣ってしまい、同行者の方に心配をかけながら休息をとります。スポーツ飲料で水分補給には気を付けていたつもりでも、朝から奈良県郡山城訪問からの強行軍で、体力を使っていたようです。 参拝道の途中、この場所に伏見城があったことを偲ばせる石垣用石材が展示されています。写真をとりつつ、やっと御陵にたどりつきました。

一つ一つが大きな石で、伏見城が当初豊臣家によって築かれた天下普請の大城郭であったことを偲ばせてくれます。
桃山陵の参拝所です。本丸付近といわれていますが中をうかがい知ることはできません

一息入れ、鉄道駅に戻ることにします。土地勘がないので最寄り駅もわからずスマホで確認すると最寄りは京阪宇治線「桃山南口駅」です。伏見桃山陵大階段という途方もなく続く階段をひたすらに降りました。この大階段は降りるのは大丈夫でしたが、上るのは自分には絶対無理と思いながら、下段後に駅横のコンビニに寄り道して干し梅や栄養ゼリー飲料で回復を図ります。

次は本日最後の目的地、淀城に向かいました。