和歌山城を歩く|豊臣秀長の築城と石垣・連立式天守【アクセス・所要時間】

和歌山城天守 復元天守

訪問日 2024年8月26日晴天
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和歌山城大天守・小天守

和歌山城は、豊臣秀長が築き、その後、浅野氏や紀州徳川家によって整えられた城です。現在の連立式天守は戦後に再建されたものですが、城内には時代によって積み方の異なる石垣が残ります。私は南海和歌山市駅から城に向かい、石垣を見比べながら天守を訪ねました。この記事では、現地で見た石垣と天守の魅力、アクセスと所要時間を写真とともに紹介します。

和歌山城へのアクセスと所要時間

南海和歌山市駅から和歌山城までは徒歩約15分です。バスなら和歌山バスで約5分、「市役所前」で下車するとすぐ。JR和歌山駅からは和歌山バスで約10分、「和歌山城前」で下車します。

御橋廊下と西之丸庭園を通って天守を見学するなら、往復で少なくとも約1時間30分が目安です。石垣もじっくり見たい場合は、時間に余裕を持たせるとよいでしょう。

和歌山城について

 和歌山城は和歌山市内の中心部に位置しており、虎伏山という標高50mの丘に築造された平山城です。城郭の北西部には紀ノ川があり、城の防御ラインになっています。いわゆる梯郭式の平山城で、姫路城や伊予松山城と同じ連立式の天守群を持つ平山城で、城下から眺めた景観が美しく市内観光の中心になっています。

 和歌山城の見どころは、天守曲輪の建築群と、御橋廊下といわれる木造橋(復元)、この橋を渡って出入りする西の丸庭園など多くあります。他に見逃せないのが石垣です。豊臣氏や浅野氏によって整備された古い時代の石垣と、徳川時代の新しい石垣の違いが瞭然です。野面積の石垣から打込ハギ、切込ハギの石垣まで同じ城で見ることが可能で、時代の変遷による築城技術の発達を知ることができて見ごたえがあります。

和歌山城天守曲輪の門・櫓
天守曲輪の建築群を内部から撮影、内部はコンクリート復興ですが観覧できます。
和歌山城御橋廊下
御橋廊下の外観。木造復元されており、中を渡ることが実体験できるので貴重な体験になります。
豊臣時代の野面積石垣
勾配もなだらかで、高さもそれほどない野面積みの石垣。豊臣治世の古い時代に積まれたものと思われます。
松の丸櫓台の石垣
同じ城の石垣にしては様相があまりに違う江戸期の松の丸櫓台の高石垣。算木積も見事な切り石と勾配で切込ハギで積まれています。

豊臣秀長による和歌山築城と紀州御三家の城へ

和歌山築城の経緯

 豊臣秀長は、1585年(天正13年)に紀州攻めに参陣し、その功によって紀伊の国は秀長の所領となりました。秀長は豊臣秀吉の命で当時は「若山」と呼ばれたこの地に築城しましたが、藤堂高虎を普請奉行に任じています。藤堂高虎は、築城名人として後世に名を残した人物です。地名はこの頃、名称を「和歌山」と改められているようです。

秀長は大和郡山城を居城とし、1586年(天正14年)には家臣の桑山重晴(くわやま・しげはる)が和歌山城代として在城しました。本丸を中心とする山頂周辺では、この時期に城の整備が進められました。
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1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後、浅野幸長が37万6千石で紀伊に入り、和歌山城を大きく改修しました。城の正面を岡口門側から一の橋側へ移し、城下町を整えています。石垣は豊臣・桑山期から浅野期、徳川期にわたって築かれたため、城内では時代ごとの違いを見ることができます。

和歌山城本丸石垣と天守曲輪の櫓
和歌山城本丸石垣

浅野氏の時代に、黒い下見板張りの連立式天守が築かれました。紀州徳川家の治世下、1798年(寛政10年)に白壁に改められ、白亜の天守となります。1846年(弘化3年)の落雷で焼失しましたが、1850年(嘉永3年)にほぼ元の姿で再建されました。

この再建天守は1945年の戦災で失われましたが、昭和まで残ったことで資料に恵まれ、1958年鉄筋コンクリートで、旧観と同じ外観で再現されて今日に至っています。

天守曲輪から見る和歌山城天守
天守曲輪内部から見る天守。昭和まで残っていた戦災天守だけにほぼ古写真どおりに復元されています。

天守の老朽化問題について

和歌山市が2018年に公表した耐震診断では、和歌山城天守閣は震度6強から7の大地震に対する耐震性能が不足すると判定されました。現在の天守は1958年に鉄筋コンクリート造で再建された建物です。木造再建や耐震補強など、将来の整備方法が検討されてきました。私も実際に内部を歩き、戦後に再建された天守の姿を間近に見ました。

和歌山城小天守
天守には天守曲輪から小天守の玄関口から入ります。天守最下層の壁面も改めてみると材質が浮いて見えます。

遠目にも近くでも、和歌山城天守は美しい姿を見せます。
一方、内部を見学すると、コンクリートの壁や天井の染み・汚れが目に留まり、戦後の再建から年月が経ったことを感じました。私は木造で再建された姿を見てみたいと思いますが、天守台の石垣を守る方法や耐震性など考えるべき課題もあります。これからも安心して見学できる形で、この連立式天守が受け継がれてほしいと思います。

その後、天守と天守曲輪の櫓群を一周し、天守の欄干から紀の川や和歌山市街を眺めました。豊臣秀長の築城から紀州徳川家、戦後の再建へと続く歴史を思い浮かべながら、城下の景色を楽しみました。

和歌山城天守から見る紀の川と紀州灘方面
天守から見る紀の川と紀州灘方面の眺望
和歌山城天守から眺める和歌山市街
天守から眺める和歌山市街地方面
和歌山城天守側面
天守を側面から撮影。入母屋出窓の位置から天守台が矩形でない平行四辺形であることが実感されます。

まとめ|石垣と連立式天守から和歌山城の歴史をたどる

和歌山城では、豊臣・桑山時代の野面積みと、後の時代に築かれた高石垣を見比べられます。私も石垣の違いを確かめながら歩き、連立式天守の姿と天守からの眺めを楽しみました。天守を訪ねる際には石垣にも目を向けると、この城が重ねてきた歴史をより身近に感じられると思います。

参考資料|和歌山の公式資料

・史跡和歌山城「和歌山城の生い立ち」
   https://wakayamajo.jp/history/

・和歌山市の文化財「和歌山城」
  https://wakayamacity-bunkazai.jp/wakayamajo/


・和歌山市「史跡和歌山城二の丸及び西の丸整備基本計画」(耐震診断の記述を含む報告書の掲載ページ)  https://www.city.wakayama.wakayama.jp/shisei/1009417/soshiki/1002617/1011282/1002709.html