現存12天守のうち、山城に残る天守は備中松山城だけです。ふいご峠から本丸までは徒歩約20分。山道を進むと、天然の巨大岩盤と石垣が現れ、その先には、小さいながらも複雑な外観を持つ現存天守が待っています。
この記事では、私が実際に歩いた順に、初心者向けの登城方法と見どころを紹介します。
結論―備中松山城は山城初心者におすすめ
城は本来、敵の攻撃を防ぐための軍事施設です。山城では、険しい地形そのものが防御に利用されているため、山道を歩くことで城の役割を実感できます。
備中松山城は、臥牛山の小松山、標高約430メートルの山上に築かれています。麓から歩いて登るのは大変ですが、ふいご峠から本丸までは約20分。山登りに慣れていない人でも、比較的挑戦しやすい山城です。
備中松山城を山城初心者におすすめしたい理由は、次の三つです。
・ふいご峠から本丸まで徒歩約20分
・登城途中に巨大岩盤や石垣などの見どころがある
・山道の先で江戸時代から残る現存天守に出会える
登城路には、自然の岩盤、その上に積まれた石垣、屈曲する石段が続きます。険しい道を越えた本丸には、現存天守と二重櫓、復元された櫓などの建築群が残されています。
山城の地形と城郭建築を一度に味わえる備中松山城は、山城の魅力を初めて知る場所として、特におすすめしたい城です。

備中松山城の基本情報|料金・時間・アクセス
備中松山城は、臥牛山の山頂近く、標高約430mの場所に築かれています。私は、麓からの登城は体力的に厳しいと考え、自家用車でふいご峠まで上がり、「ふいご峠駐車場」から徒歩で登城しました。
現在、登城整理バスの運行中は、城まちステーション(城見橋公園)からふいご峠まで一般車は通行できません。バスの運休日は自家用車でふいご峠まで上がれるため、訪問前に公式サイトの運行カレンダーと駐車場情報を確認してください。
基本情報
| 所在地 | 岡山県高梁市内山下1 |
| 開城時間・休城日 | 4月~9月:9時~17時30分(最終入城17時)/10月~3月:9時~16時30分(最終入城16時)/休城日:12月29日~1月3日 |
| 入城料 | 大人500円 小中学生200円 |
| 駐車場 | ふいご峠駐車場14台、城まちステーション110台 ※ふいご峠駐車場は有料化の案内があるため、公式サイトで確認 |
| 登城整理バス・乗り合いタクシー | 登城整理料:大人600円、小中学生300円/ 乗り合いタクシー:片道一人1,000円 |
| 見学所要時間 | 約2時間(ふいご峠からの往復を含む) |
ふいご峠から本丸へ|約20分の山城歩き
歩き始めると、すぐに山城の雰囲気へ
ふいご峠の駐車場から歩き始めると、登城路はすぐに樹木に囲まれ、山城らしい空気へと変わります。本格的な装備までは必要ありませんが、未舗装部分があり、岩や木の根が露出した場所もあります。履き慣れた運動靴を用意しましょう。
山上に近づくにつれて、石段が増え、櫓台の石垣や、自然の岩盤に継ぎ足された石垣が見えてきます。

登城路を進み、大手門跡に差しかかる頃には、自然の岩盤と石垣が幾重にも重なる、息をのむような景観が現れます。
石段と土塀をたどって城の中心部へ

山道を登り詰めるにつれて、石段や石垣、土塀など、人の手が加えられた城郭遺構が増えていきます。その一つが国の重要文化財に指定されている三の平櫓東土塀です。
土塀には、丸い鉄砲狭間と四角い矢狭間が設けられています。山の斜面を登ってくる敵を鉄砲や弓で狙うための射撃用の窓です。

三の平櫓東土塀は、大手門跡を入り、左へ曲がると正面に見えます。土を練って造った塊を積み重ね、その外側を漆喰で仕上げた現存土塀です。
城内の復元土塀は、この現存部分を手本に、狭間の配置などを再現しています。現存部分と復元部分の境には段差が設けられているので、現地で見比べるのも興味深いところです。
山中に現れる巨大岩盤と石垣
自然の岩盤を城の防御に取り込む
日本三大山城の一つに数えられる備中松山城。その迫力を最もよく伝えるのが、自然の岩盤と一体になった石垣です。
登るだけでも険しい岩盤の上に石垣を積み、さらに土塀を設けています。自然の地形に人の手を加え、攻め手を圧倒する防御施設へ変えた姿は、この城を代表する見どころです。目の前にすると、思わず足を止めて見上げてしまいます。

大手門跡で実感する山城の堅固さ
主郭である本丸・二の丸・三の丸への入口に着くと、大手門跡の石垣に圧倒されます。
門の建物は失われていますが、岩盤、石垣、屈曲した石段、狭い通路が重なり、攻め手が上下左右から攻撃を受ける構造を想像できます。建物がなくても、山城の堅固さを実感できる場所です。

標高約430メートルの山上に築かれた石垣からは、築城に携わった人々の労苦が伝わってきます。建物が失われても石垣は長い年月に耐え、かつての姿を現在に伝えています。

二の丸で、ついに現存天守と対面
ふいご峠から約20分。大手門跡を抜け、三の丸から二の丸へ進むと、本丸の建築群が視界に入ります。なかでも目を引くのが、現存12天守の一つに数えられる備中松山城天守です。
目の前にある五の平櫓、その手前の石段を登って本丸へ入ります。ここまで来ると、視線は石垣から城郭建築へと移っていきます。
いよいよ天守へ向かいます。

小さいのに複雑|備中松山城天守を考察

二重二階なのに「三重櫓」と呼ばれた天守
備中松山城天守は、二重二階の層塔型で、高さが約11メートル。
現存天守の中で最も低い天守です。
ところが、古文書では「三重櫓」と呼ばれていました。高梁市の解説でも、外観は三重に見える一方、実際には二階建てであるとされています。
天守側面に付櫓を設け、その上に天守本体から屋根を葺き下ろしているため、これを一重と見れば、外観上は屋根が三重に重なって見えます。この構成が「三重櫓」という呼称につながった可能性も考えられますが、これは建物の外観から見た私なりの推測です。
江戸時代に描かれた「松山城本丸立絵図」(岡山大学附属図書館池田家文庫蔵)には、天守本体を三重に描いたものも残されています。

唐破風と重なる屋根が生む複雑な外観
備中松山城天守は、層塔型の二重二階ながら、付櫓や破風、葺き下ろし屋根を組み合わせた、左右非対称の複雑な外観をしています。見る方向によって印象が変わり、小さな天守を単調に見せません。
正面(南側)から見る天守
天守台の石垣は、自然の岩盤の上に築かれています。正面中央の大きな唐破風と、その下に並ぶ連子窓が目を引き、ここが天守の正面であることを印象づけています。

天守は本来、八の平櫓と廊下で結ばれた連結式の構造でした。しかし、昭和15年(1940年)の大修理では荒廃が激しく、原形への復帰が困難だったため、天守と八の平櫓が切り離され、現在の姿になりました。
側面(東側)から見る天守
東側では、入母屋造りの付櫓が眼前に迫ります。正面の唐破風とは趣が異なり、天守本体から付櫓が張り出す構成がよく分かります。天守台の石垣はそれほど高くありません。
この付櫓の張り出しは東側に設けられています。反対の西側は、かつて八の平櫓へ続く廊下が接続していた側ですが、樹木と崖に阻まれ、撮影できませんでした。

背面(北側)から見る天守
背面では、天守最上部の入母屋破風と、付櫓の入母屋破風が重なります。正面とは全く異なる姿を見せ、付櫓、破風、庇付きの窓が、天守の外観を一層複雑に見せています。

天守内部に残る籠城への備え
天守には珍しい囲炉裏
天守の外観を一周して確認した後、天守脇の通路から内部へ入ります。入口から階段を上ると、一階の空間が広がります。

天守一階の平面は、長辺七間・短辺五間です。現存12天守のなかで最も低い天守でありながら、内部には意外な広さがあります。
一階は、中央の母屋と、その周囲を囲む入側に分けられています。さらに、入側から付櫓を張り出し、そこに囲炉裏を設けています。

一階で注目したいのが、天守には珍しい囲炉裏です。中心部でなく、入側から張り出した細長い空間に、長方形の囲炉裏が設けられています。
籠城時の炊事や暖房に用いることを想定した設備と考えられ、天守が実用を意識して造られていたことを伝えています。

城主一家のための装束の間
一階には、籠城時に城主一家の居室となる装束の間が設けられています。床下に石を詰めて隙間をなくし、外部からの侵入を防ぐ工夫が施されています。
単なる倉庫ではなく、籠城時の使用を想定した空間が残されていることも、備中松山城天守の特徴です。

二階に残る御社壇
装束の間を見た後、現存天守らしい急勾配の階段を上がり、二階へ向かいます。段数はそれほど多くありませんが、上り下りには注意が必要です。

二階は天井を張らず、梁組を見せた広間になっています。奥には、城の守護神を祀る御社壇が残されています。かつては、三振りの宝剣を御神体として祀っていました。
この御社壇から、天守が防御や眺望のためだけでなく、城の守護を祈る信仰の場でもあったことが分かります。

岩盤の上に建つ現存二重櫓
天守とともに残ったもう一つの城郭建築
天守の背後には、国の重要文化財に指定されている二重櫓が残されています。水谷勝宗による天和元年から3年(1681年~1683年)の修築の際に建てられたと考えられています。
建物は二重二階、入母屋造りの本瓦葺き屋根です。一階の北側と南側に入口があり、本丸と後曲輪を結ぶ役割を担っていたと考えられます。かつて備中松山城に設けられた14棟の櫓のうち、二階建てはこの二重櫓だけでした。

岩盤と石垣を基礎にした山城らしい姿
二重櫓は、自然の岩盤に石垣を継ぎ足し、その上に建てられています。足元から見上げると、建物そのものの高さ以上に迫力を感じます。
人工の石垣だけで平坦な場所を造るのではなく、自然の岩盤を基礎として利用する姿は、備中松山城らしさをよく表しています。

荒廃から守り継がれた山上の天守
水谷勝宗によって整えられた現在の天守
現在の天守と二重櫓は、水谷勝宗が天和元年から3年(1681年~1683年)に行った修築によって、現在の姿に整えられたとされています。
一方、慶長13年(1608年)とされる「備中松山城図」や正保年間(1644年~1648年)に幕府へ提出された城絵図にも天守が描かれています。少なくとも17世紀前半までに、何らかの天守が存在していた可能性は高いと考えられます。
ただし、絵図の天守が現在の建物そのものか、前身の建物かまでは断定できません。

ここからは少し専門的になりますが、現地で天守と石垣を見た私なりの考察です。
慶長10年(1605年)の修理記録には、五間半×七間の二重天守をいったん解体し、崩れた石垣を積み直して天守を再建しようとした旨が記されています。この規模は、現在の五間×七間と近いものです。
現在の天守台は打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)で積まれていますが、城内の高石垣や二重櫓の石垣と比べると、隅部の算木積みが十分に発達していないように見えます。この違いも、前身天守の基礎を利用した可能性を考えた理由の一つです。ただし、石垣の年代は積み方だけでは断定できません。
正保城絵図に描かれた単純な層塔型の二重天守を、水谷勝宗が大規模に改修し、側面の付櫓や破風、葺き下ろし屋根などを加えて、現在の複雑な外観に整えたのではないか―私はそのような可能性を感じました。

山中に取り残された城を守った人々
江戸時代の松山藩では、「城」といえば麓にある藩主居館の御根小屋(おねごや)を指し、小松山にある城郭は「山城」と呼ばれていました。板倉氏の時代には三の丸の足軽番所に4人の番人が常駐し、城内の警備と施設の管理に当たっていたと記録されています。
明治6年(1873年)の廃城令後、山上の建物は解体されないまま放置されました。大手門をはじめ、二の丸や三の丸の門・櫓は次々に倒壊し、大正末頃には、天守や二重櫓などが荒廃した姿で残るのみとなっていました。
転機となったのは昭和2年(1927年)、県立高梁中学校の教諭として赴任した信野友春による調査でした。翌年には高梁町や地元有志が保存に動き、二重櫓の修理や高梁保勝会の結成へとつながります。昭和15年(1940年)には天守、翌16年には三の平櫓東土塀の修理が行われました。
修理に必要な資材を山上まで運び、建物を守ろうとした地元の人々の努力によって、天守と二重櫓は現在まで受け継がれました。私たちが目にする現存山城の姿は、こうした保存活動の成果でもあるのです。

猫城主には会えず、山を下りる
この日は残念ながら、猫城主さんじゅーろーには会えませんでした。それでも、巨大岩盤と現存天守に出会えた登城は、山道を歩いた疲れを忘れさせるものでした。
次に訪れるときこそ会いたいと思いながら、本丸を後にしました。

備中松山城を訪れる初心者への注意点

・履き慣れた運動靴を用意しましょう。
・山上には飲み物を購入できる場所がないため、登る前に準備しましょう。
・雨天後は、石段や山道が滑りやすくなります。特に下りでは注意が必要です。
・猛暑日、積雪時、荒天時には、登城を控える判断も必要です。
・帰りのバスやタクシーの時刻を確認し、時間に余裕を持って行動しましょう。
・一般車の通行条件や駐車料金は変わる場合があるため、訪問前に公式情報を確認しましょう。

よくある質問|Q&A
備中松山城は山城初心者でも登れますか?
ふいご峠から天守までは約20分です。健康状態に問題がなく、途中で休憩を取りながら歩けば、山城初心者でも比較的登城しやすい城です。
ただし、急な石段や未舗装部分があります。猛暑日、積雪時、荒天時には、登城するか慎重に判断してください。
ふいご峠から天守まで何分かかりますか?
公式サイトでは、ふいご峠から天守まで徒歩約20分、距離は約700メートルと案内されています。写真を撮りながら歩く場合は、30分程度を見込んでおくと安心です。
自家用車でふいご峠まで行けますか?
登城整理バスの運行中は、城見橋公園からふいご峠まで一般車は通行できません。バスの運休日には自家用車でふいご峠まで上がれます。
運行日は、時期によって異なるため、訪問前に公式サイトの運行カレンダーを確認してください。
登城には登山靴が必要ですか?
本格的な登山靴までは必要ありませんが、履き慣れた運動靴が適しています。未舗装の山道や石段を多く歩くため、革靴やヒールのある靴は避けた方が安全です。
猫城主のさんじゅーろーには必ず会えますか?
さんじゅーろーは基本的に城内に暮らし、10時と14時頃に見回りを行うため、その時間帯は会える可能性が高いと公式サイトに案内されています。
ただし、見回りのコースは決まっておらず、通院や用事で不在の場合もあります。必ず会えるとは限りません。
まとめ|山道を歩いた先には本物の天守が待つ
備中松山城の魅力は、現存天守が残っていることだけではありません。
山道を歩き、巨大岩盤と石垣を見上げ、大手門跡を抜けた先で天守と対面する。—その道のりすべてが、山城を知るための体験です。
ふいご峠から本丸までは約20分。山城に興味があるものの、登城に不安を感じている人にこそ、一度歩いてほしい城です。
参考資料
・史跡備中松山城跡環境整備基本計画策定報告書 (1993.3 高梁市教育委員会)
・史跡備中松山城跡本丸復元整備工事報告書(1997.3 岡山県高梁市教育委員会)
・重要文化財備中松山城天守及び二重櫓保存修理工事報告書(平成15年3月 岡山県高梁市)
・史跡備中松山城跡保存管理計画策定報告書(1992.3 高梁市教育委員会)
・備中松山城公式サイト「ご利用案内」
http://www.bitchumatsuyamacastle.jp/guide/
・備中松山城公式サイト「備中松山城ガイド・天守」
http://www.bitchumatsuyamacastle.jp/seeing/seeing_1/
・高梁市公式サイト「備中松山城の重要文化財」
https://www.city.takahashi.lg.jp/site/bichu-matsuyama/juyoubunkazai.html
・備中松山城公式サイト「猫城主さんじゅーろーについて」
http://www.bitchumatsuyamacastle.jp/sanjuro/
・備中松山城公式サイト「登城整理料 値上げ改定について」
http://www.bitchumatsuyamacastle.jp/news/987/
次回は、建物が失われても壮大な高石垣が残る、もう一つの日本三大山城・津和野城跡を歩きます。

