2025年12月 発掘成果発表成果の報道と福岡市の調査報告より
2025年12月になり注目された福岡城天守台の発掘成果について、マスコミ報道が出されています。要約すると「天守台内部の地中から瓦の一部などの複数の遺物が出土していたことが、市への取材でわかった。今秋、割れた瓦などが見つかったという」記述(引用:読売新聞西部本社)があり、別社の記事では「福岡城天守台の外側も発掘へ 福岡市、石垣など調査検討」という見出しに「来年度は天守台の外側も調査する意向を明らかにした。石垣の構造や遺物の有無を調べる。」とあります。(引用:西日本新聞)
福岡市経済観光文化局が令和7年12月公表した「経済振興委員会報告資料 福岡城天守台調査の経過報告について」を読んでみました。要約すると以下の通りです
① 礎石(そせき)が江戸時代の姿を保っていることが判明した。
江戸時代の工法による根石が礎石下で見つかったことで、礎石は江戸時代の姿のまま残されていたことが明らかになったということ
② 瓦と釘が出土した。
福岡城の瓦によく見られる「巴文(ともえもん)」の模様がある屋根の軒先に葺く瓦の一部が出土した。釘とみられる鉄製品も2点出土した。そのうち、1点をX線で撮影したところ、長さ約6cm(2寸)の和釘であることが判明した
③ 今後の予定
現在実施している発掘調査は12月まで実施、終了後は史跡保護のため埋め戻し。
石垣調査、地盤調査については、令和8年2月まで現地にて継続して行う予定。
ということです。
軒瓦と釘の出土は何を語るのか

報告書を見る限り4センチの大きさの軒瓦の破片1個と釘2個の出土。つまり、全く何も出て来なかった訳ではないが、きわめて少ないから天守があったか無かったかを断定しづらい、来年は天守台外側も調べて証拠探しを補強してみる・・・ということなのでしょう。
発掘前の2024年12月、天守の存在を補強するような文面の古文書発見をマスコミに意気込んで発表する高島福岡市長の様子を見て、市では経済界の意向に沿って天守があったことにしたい(又は再建したい)思惑を感じていました。それで何か遺物が発掘できれば、すぐにマスコミ発表しそうな印象だったので、6月末から12月までの発掘終了までに音沙汰なしだったので何も出なかったのだろうと勝手に思っていました。
そして、私はこのように考えていました。
① 福岡城天守はあったのか否か、天守台を発掘すれば明らかになるのではないか。
② 実際の発掘が始まり、何も出てこないようだ・・・
・天守が在った論では、天守建造後に藩が自主的に解体したということになっている。 落城、落雷、地震、台風、失火炎上などの被災的喪失でないから、瓦や資材は計画的に撤去されたはずであり、むしろ天守台土中から瓦片等が出土する方が不自然ではないのか。
・建てて十数年で解体なら、柱など古材や瓦は城内又は城下で再利用を考えて段取り良く撤去し何処かで保管するのが普通ではないのか。
③ よって、何も出なくても不思議ではないから、天守の存否にかかる結論は先延ばしにされるだろうという予測です。
しかし、2025年12月の調査終了時の報告をみて、出土した事実を知りました。意外だ、しかも何故、1個の瓦片と2本の釘だけなのか?という考えが頭から離れません。「発掘成果なし」とか逆に「まとまって発見された」とかいう内容を想定していたのです。
また気になっていたのが、かつて天守台内にあったという蔵の存在です。江戸期(1765年・明和二年)に取り壊されたそうですが、この蔵の屋根が瓦葺きであったなら、天守の瓦とどう区別するのでしょうか。4センチ位の大きさの軒先瓦の破片1つを、慶長期の瓦(天守建造時)であると科学的に年代判別を行うことができるのでしょうか。
まだまだ、この論争は決着まで時間がかかりそうです。


