【夕映えの出世城-長浜城と豊臣兄弟の原点】

戦国古城の旅

  -豊臣兄弟の名城を行く-

夕刻の琵琶湖の湖畔を振り返ると、白亜の天守が静かに浮かび上がっていました。

長浜城を訪れたのは、日没間近の時間でした。
すでに、入場時間は過ぎており、天守の内部に足を踏み入れることは叶わなかった。しかし、その代わりに、思いがけない光景に出会うことになりました。

琵琶湖に沈みゆく夕陽が、城を朱に染め上げていたのです。

水面は柔らかく波打ち揺れ、天守の姿をほのかに映します。湖国特有の穏やかな風が頬を撫で、時間が静かに溶けていくようなひとときでした。

城に入れなかった訳ではない、城が最も美しい時間を見せてくれたのです。

羽柴秀吉、初めての居城

長浜城は、1573年(天正元年)、羽柴秀吉が浅井氏滅亡後に近江今浜を与えられて築いた城です。

それまで「今浜」と呼ばれていた地名を、主君・織田信長の「長」の字を拝領して「長浜」と改めたという伝承が残っています。出世街道を駆け上がる若き武将の決意が、この改名に重ねられて語られてきています。

長浜城は、秀吉が初めて城持ち大名として本格的に拠点を構えた場所でした。
天下人への道は、ここから始まります。

そしてこの時期、常に兄を支え続けたのが弟・豊臣秀長です。秀長は兄の補佐役として軍事・政務の両面で力を尽くし、のちの豊臣政権を支える礎を築いていきます。

長浜は、まさに“豊臣兄弟の原点”と呼ぶにふさわしい城なのです。

長浜城址は現在は「豊公園」として整備されています。廃城後かなりの年月が経ち、城址の地形も大きな改変があったのではないかと推定されます。写真は模擬天守からやや離れた公園内に設置された本丸跡の碑です。かつてはこのあたりに天守があったのでしょうか。

湖国の城-水運がもたらした力

長浜城は琵琶湖に近接した平城です。

湖そのものが天然の大動脈であり、物資や人の往来は水運によって活発に行われました。城下町は湖と結びつき、商業的にも発展していきます。

後年、秀吉が大坂城を築き、水都の発展を重視したことを思えば、長浜での経験は決して小さなものではなかったでしょう。

夕日に染まる湖面を眺めながら、若き日の秀吉もまた、この広大な湖水の先にある未来を思い描いていたのかもしれないと想像してしまいます。

長浜城の模擬天守。羽柴秀吉時代の天守を時代考証してイメージして望楼型の天守で表現されています。

夕陽が語るもの

長浜城祉の豊公園から琵琶湖を望みます。

西の空が赤く染まり、琵琶湖の彼方へ太陽がゆっくり沈んでいきます。

その赤い光を浴びた天守は、まるで歴史の幕開けを象徴するかのようでした。

のちに天下を統一することになる秀吉。その陰には、常に秀長という弟の存在がありました.

華やかな大坂城や伏見城に比べれば、長浜城は決して巨大な城郭ではありません。しかし、ここには“始まり”がありました。
原点の城
兄弟の城
出世城


湖に沈む夕陽は、静かに、しかし確かに、天下への第一歩を照らしているように見えました。

廃城と現在

長浜城は1606年(慶長十一年)頃に廃城となり、後に一国一城令によって完全にその役目を終えました。城の部材の一部は彦根城へ移築されたとも伝えられています。

写真は彦根城の天秤櫓。江戸期の「金亀山伝記」には長浜城大手門を移築したと記載されています。

現在の天守は、昭和期に再建された模擬天守ですが、琵琶湖近くに立つその姿は、往時を想起させるには十分な風格を備えています。

入場は叶わなかった。でも、夕映えの長浜城は確かに心に刻まれました。

あとがき

「豊臣兄弟ゆかりの名城を行く」シリーズにおいて、長浜城は時間軸の出発点にあたる城です。

栄華の象徴を訪ねる旅も良いのですが、原点を歩く旅には、また別の味わいがあります。

琵琶湖に沈む夕陽とともに、豊臣兄弟の歩みを思います。
長浜城は、そんな静かな余韻を残してくれる湖城でした。

長浜城跡の琵琶湖畔。夕日が沈む湖の波音に心を癒されます。
JR長浜駅を下車し駅前広場に出ると、大通りを隔てて間近に長浜城模擬天守を眺めることができます。

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