西海道の城

戦国古城の旅

巌流島伝説と豊前岩石城

小倉城のある北九州市を歴史観光すると、たびたび目にするのが巌流島の決闘にかかる武蔵と小次郎のモニュメントです。今回は城郭を少し離れてこの関門海峡にある小倉領内の小島で起こった決闘について触れてみたいと思います。アクセス(巌流島)巌流島に上陸...
西海道の城

肥前名護屋城と唐津城

名護屋城は天下人となった豊臣秀吉が朝鮮半島へ出兵するため、肥前(佐賀県)に築いた巨大な陣城(前線基地)です。築城年は1591年(天正19年)とされており、主に九州の諸大名の力で築かれています。秀吉の死による朝鮮役の終了でその役目を終え、程な...
城ファンの一考察

福岡城天守は実在したか(7)

気になる地元の天守再建願望2025年から天守台の発掘調査が行われ、何らかの報告が市の教育委員会から出されると思います。福岡城に天守があった、なかったの論争は、われわれ城郭愛好家にとってロマンのある話題の一つになっていますが、気になることもあ...
城ファンの一考察

中津城天守は実在したか (2)

私が中津城があったに違いないと考えている理由を今回補足してみます。「天守の欄干」という具体的な文献資料の存在を考える注目したいのは、文禄2年(1593年)に亡くなった黒田家家臣の小河信章の跡を継いだ小河之行の長政あて書状です。そこには天守の...
唐造り

小倉城唐造天守について(2)

石垣の歪み問題は層塔型天守の創始には影響が限定的だったのではないかという考察 写真は平面的に見えるのでわかりにくいと思います。石垣隅部からの建物と石垣の接合部が曲線を描いているように写っています。しかも真ん中あたり外壁が少し、石垣がはみ出し...
西海道の城

小倉城唐造天守について(1)

小倉城の概要豊前の国小倉は九州と本州をつなぐ要地にあり中世から城が築かれていたようです。戦国期からの近世城郭への歩みは戦国大名毛利氏の築城からで、高橋鑑種、毛利勝信の時代を経て整備され、現在の規模にしたのは細川忠興とされています。関ヶ原の合...
城ファンの一考察

中津城天守は実在したか(1)

私は、昭和からの城マニアです。昭和期の城郭本は発刊も少なく、中津城も元々天守が無い城として紹介されることが多かったように記憶しています。現在の模擬天守も史実にない新造天守と批判的に書かれていました。実際、今の天守があった場所には天守台は存在...