現存12天守を行く 松本城

松本城天守 現存天守

松本城は長野県にある国宝に指定された現存天守を持つ名城です。五重天守として現存するのは、他に姫路城しかなく我が国にとって大変貴重な城郭です。

見学の楽しみは、大天守の内部で柱や梁、急な階段など、木造の天守ならではの造りを間近に見られることです。外からは、乾小天守や櫓が連なる天守群の姿を楽しめます。本記事では、水堀に映る姿や夜景、大天守の構造と築造年代、乾小天守をめぐる筆者の考察を紹介します。なお、乾小天守の内部は現在見学できません。

松本城を訪問する前に、基本情報をまとめました。
見学時間:天守内約45~60分(入場待ち時間を除く目安)
開場時間:通常8:30~17:00(最終入場16:30)
休場日 :12月29日~31日
観覧料 :一般は電子チケット1,200円(日時指定)、
     紙チケット1,300円(当日券)
     小・中学生400円、未就学児無料

※時期により開場時間が異なります。最新情報は公式の観覧案内をご確認ください。
(見学情報確認:2026年10月9日)

松本城(長野県松本市)

松本城の概要

松本城は、長野県松本市にある平城です。全国に残る現存天守12城の一つで、天守が国宝に指定されている姫路城・松本城・松江城・犬山城・彦根城の5城にも数えられます。

大天守は五重六階で、乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓と一体の天守群を形成しています。白漆喰と黒漆塗りの下見板の対比が美しく、白亜の姫路城とは違った重厚さを感じます。建物ごとに異なる屋根の形や、天守と櫓のつながりにも注目したい城です。

私が特に紹介したいのは、水堀に映る天守群の姿と、夜のライトアップです。風が穏やかな日には水面への映り込みを楽しめ、夜には暗がりの中で白壁が浮かび上がります。松本市で宿泊する機会があれば、昼夜の表情を見比べる城歩きもおすすめです。 

松本城の歴史

松本城の前身とされる深志城は、永正元年(1504年)、島立右近貞永が築いたと伝えられます。天文19年(1550年)に武田信玄が小笠原氏を退けると、深志城は武田氏による信濃支配の拠点となりました。

天正10年(1582年)に武田氏が滅亡した後、この地を取り戻した小笠原貞慶が城の名を松本と改め、城郭と城下町の整備を進めました。天正18年(1590年)には、豊臣秀吉の命で石川数正が入城し、その子康長とともに近世城郭としての整備を進めました。

現存天守群の築造年代には諸説があり、従来は文禄2~3年(1593~1594年)の築造が有力とされてきました。松本市が2025年に公表した調査報告では、部材の年輪年代や建築技術の検討から、大天守の建設を1596~1597年頃と推定しています。

辰巳附櫓と月見櫓は、松平直政の時代に増設されたと説明されてきました。一方、同報告では、辰巳附櫓は大天守などと一連の工事で建設され、月見櫓は寛永3年(1626年)頃から約2年の工事で増築されたとする、新たな見解が示されています。 

水堀に姿を映す美しい天守群

水堀越しに見る松本城天守群
水面に姿を映す松本城天守。水堀と天守の組み合わせはこの城が最高です。
夜間ライトアップされた松本城大小天守
ライトアップされ漆黒の闇に浮かぶ松本城。黒との対比で白い壁の美しさが際立ちます。

松本城小天守について

乾小天守は古天守か

私は、乾小天守が、大天守に先立って建てられた天守を改造したものではないかという点に関心があります。公式資料で紹介されている、大天守との柱間寸法や用材の違いも、その成り立ちを考えるうえで気になる点です。

ただし、柱間寸法や用材の違いだけでは、築造時期の前後を判断できません。松本市が2025年に公表した調査報告では、大天守・乾小天守・渡櫓などは、石垣から建物まで一連の工事で建設されたとする見解が示されています。乾小天守が初代の天守だったという見方を、確定した事実として扱うことはできません。

乾小天守の内部は現在見学できません。以下では、公式資料と外観の観察をもとに、創建時に異なる姿があった可能性を、筆者の仮説として考えてみます。 

松本城小天守
松本城小天守、大天守と隣接しているので小さく見える。小天守は耐震診断の結果、現在内部を観覧できません。

乾小天守の創建時の姿を考える|筆者の仮説

現在の乾小天守は三重四階の建物です。公式解説では、一・二階の平面は5間×4間で、三階は二重目の屋根に囲まれた窓のない階とされています。外から見える屋根の重数と内部の階数が異なる点も、この建物を観察する楽しみの一つです。

一・二階が同じ大きさで、その上に屋根裏階と最上階が重なる構成を見ると、私は、下部に大きな入母屋屋根を置いた望楼型の姿を想像します。仮に二重目の屋根がかつて入母屋だったなら、その破風に採光窓を設け、上に最上階を載せる姿も考えられます。ただし、これは現在の姿から膨らませた想像であり、屋根の改造を裏付ける痕跡を確認したわけではありません。

古い建物の部材が後の天守に引き継がれる例を考えるうえでは、姫路城も参考になります。姫路市が公開する昭和の大修理の図面には、小天守・渡櫓から発見された、秀吉の天守柱とされる部材の記録があります。部材が転用されていても、建物全体が移築されたかどうかは、さらに検討が必要です。松本城の乾小天守についても、古材の使用と建物の改造・移設の経緯を、それぞれ確かめる必要があると思います。

現在の平面規模に大きな入母屋屋根と望楼を組み合わせると、私には細身の天守が思い浮かびます。また、天守群の北西側にある配置や、大天守と一体に見える石垣も気になる点です。もし前身の天守が別の場所にあったなら、解体・移設や平面規模の変更を経て、現在の乾小天守になった可能性はないでしょうか。現在の配置や石垣の見た目だけでは判断できませんが、旧天守の位置を示す遺構や部材の加工痕などを手掛かりに、さらに考えてみたい疑問です。 

姫路城乾小天守
姫路城乾小天守。3重4階の建物で2重目屋根に入母屋を持ちます。
姫路城乾小天守
別角度から見る姫路城乾小天守。3階は大入母屋の破風に窓を開いて明り取りにしています。

松本城大天守について

大天守は望楼型か、層塔型か

天守の建築様式には、望楼型と層塔型があります。望楼型は、大きな屋根を持つ下部の建物に、小さな楼閣を載せたような構成が特徴です。層塔型は、上へ向かって規則的に小さくなる各重を積み重ねたような形式です。実際の天守には、両方の特徴を併せ持つものもあります。

松本城大天守は五重六階です。二重目に大きな入母屋屋根がなく、上へ向かって小さくなる外観は層塔型に近い姿をしています。一方、三階は二重目の屋根の内側にある、外観から分かりにくい階です。こうした屋根裏階や木の骨組みには、望楼型に共通する特徴が見られます。

松本市が2025年に公表した調査報告では、一~四階に望楼型の骨組みが認められ、五・六階は寛永4年(1627年)の改造によって、層塔型のように外観の釣り合いが整えられたとしています。私は、外観だけでなく内部の構造や改造の経緯にも目を向けることで、松本城の建築の面白さがより伝わると思います。

以上を踏まえ、本稿では、現在の松本城大天守を外観による分類では層塔型に位置付けます。二重目に大きな入母屋屋根を持たず、二重目から上の各重がほぼ規則的に小さくなる姿が、その根拠です。一方、内部構造には望楼型の特徴が残っています。現在の外観の分類と、骨組みや改造の経緯を併せて見ることで、この天守の建築上の面白さがより伝わると思います。

松本城大天守の築造年代には複数の見解があります。松本市の従来の解説では文禄2~3年(1593~1594年)の築造が有力とされ、文化庁の国指定文化財等データベースでは、大天守の年代を元和初頃(1615年頃)としています。

これに対し、松本市が2025年に公表した『国宝松本城天守創建年代調査報告書』では、大天守に1596年に伐採された創建材が使われていることなどから、建設を1596~1597年頃と推定しています。築造年代を考える際には、従来の説に加えて、この新しい調査成果も踏まえる必要があります。 

私は、大天守と乾小天守の姿や構造の違いを、築造時期や改造の有無と関連付けて考えることに関心があります。乾小天守が先に造られ、大天守が後から加わったとみる説に立てば、天守の建築様式の変化を考える手掛かりにもなると思います。ただし、外観の形式だけで築造年代や改造の経緯を確定することはできません。本稿では、公式資料で示されている見解と、筆者の考察を分けて紹介します。 

少し気になるのは、城普請と石川氏の改易との関係です。石川康長は慶長18年(1613年)、大久保長安事件に連座して改易されました。一方、『信府統記』には、康長が城普請に際して公命を得ずに行ったことが多く、民家や寺院の取り壊しなどによって領民を苦しめたとする記述もあります。ただし、同書は享保9年(1724年)に完成した地誌であり、改易から100年以上後に編纂された史料として読む必要があります。

私は、この記述がどの時期の、どの普請を指しているのかに関心があります。天守の建設に関わるのか、それとも堀や門など城郭全体の整備を指すのか、この記述だけでは確定できません。また、2025年の調査報告が推定する1596~1597年頃の大天守の建設は、豊臣政権下の出来事になります。

松本の石川氏の石高は8万石ですが、石高だけを根拠に五重天守の建設が許されなかったと判断することはできません。もし城普請が改易の背景にも関わっていたなら、後任の小笠原氏による普請はどう位置付けられるのかも、考えてみたい点です。本稿では、五重天守の無断造営が改易の原因だったとは断定せず、領主交代と天守の築造・改造との関係を、さらに資料を確認したい疑問として残しておきます。 

 日本でも最古級の天守といわれている松本城は、美しさのみでなく歴史のロマンを掻き立ててくれる城郭でもあります。

本丸内から見る松本城天守群
松本城天守群

まとめ


松本城の魅力は、水堀に映る天守群の美しさと、現存する木造天守の内部を見学できることです。昼と夜で異なる表情を楽しみながら、五重六階の大天守や、天守と櫓が連なる構成にも注目してみてください。

築造年代や改造の経緯については、2025年公表の調査報告によって新たな見解が示されています。本記事では、公開資料に基づく説明と、乾小天守の創建時の姿をめぐる筆者の仮説を分けて紹介しました。資料を手掛かりに建物を観察し、自分なりの疑問を持って眺めることも、松本城を訪ねる楽しみだと思います。 

主な参考資料

本文の歴史・建築・見学情報については、次の公開資料を参考にしました。乾小天守の創建時の姿や移設・改造の可能性についての考察は、筆者の仮説です。

・ 麓和善・光谷拓実『国宝松本城天守創建年代調査報告書』(松本市、2025年)
概要版の公開ページ 。年輪年代による調査、大天守の築造・改造、辰巳附櫓・月見櫓の建設時期について。
・ 国宝松本城公式サイト「松本城の歴史 」
   前身の深志城、城郭・城下町の整備、歴代城主について。
・ 国宝松本城公式サイト「天守築造年代 」
   従来の築造年代説と、文献史料などによる検討について。
・文化庁・国指定文化財等データベース「松本城天守(棟名:天守)」
   国宝指定、建築形式、登録されている年代について。
・国宝松本城公式サイト「大天守 」「乾小天守」
   柱や梁、屋根裏階などの構造と、乾小天守の見学制限について。
・ 「国宝松本城を世界遺産に」推進実行委員会公開資料「石川氏はなぜ改易されたか(PDF)」
   『信府統記』など、石川氏の改易に関する史料の記述について。
・姫路城公式サイト「小天守・台所」
   昭和の大修理工事図面。
 小天守・渡櫓から発見された、秀吉の天守柱とされる部材の実測図について。
– 国宝松本城公式サイト「観覧案内」
  観覧料、開場時間、所要時間、見学時の注意について。

ウェブ資料の最終確認:2026年10月9日