岐阜城|豊臣兄弟が天下人へ駆け上がる起点となった城

復興・模擬天守
金華山上に聳える岐阜城天守

岐阜城はこんな人におすすめ

岐阜城は、「ただの山城」ではありません。豊臣秀吉の出世が始まった“転機の城”です。

この城は、次のような方に特におすすめできる城です。
・豊臣秀吉の出世ストーリーに興味がある人
・絶景を楽しめる城に行きたい人
・ロープウェで気軽に山城を体験したい人
・登城の達成感も味わいたい人

金華山の山頂に築かれた岐阜城は、戦国時代の濃尾平野の要衝として重要な役割を果たしただけではなく、現在は平野部を一望できる絶景スポットとしても知られています。

また、ロープウェイを利用すれば初心者でも無理なく訪れることができる一方で、登山道を使えば本格的な山城の雰囲気も体感できます。
ロープウエイで実際に訪れてみると、気軽に登れる一方で山上駅から天守までは若干の歩きもあるので、山上の地形や石垣から山城ならではの厳しさも実感できました。

「歴史」と「体験」、その両方を味わえるのが岐阜城の大きな魅力です。


※本記事は「豊臣兄弟ゆかりの名城を行く」シリーズの一遍です。
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岐阜城/基本情報(アクセス・料金・所要時間)

岐阜城を訪問前に基本情報をまとめました

■ 岐阜城 基本情報
所在地 :岐阜県岐阜市金華山天守閣18
アクセス:JR岐阜駅または名鉄岐阜駅からバスで「岐阜公園・岐阜城」下車、徒歩約3分でロープウェイ乗り場へ。ロープウェイで約4分、山頂駅から徒歩8分で天守へ
入館料 : 大人200円、小人100円(R8年3月時点)
天守 : 復興天守(1956年RC造)
営業時間:季節により変動あり(9:30~17:30又は16:30)
耐震化工事に伴う休館
岐阜城天守閣・・・令和8年5月19日 から 令和9年10月下旬 予定(公式HPより)

所要時間:1~2時間程度(ロープウェイ利用の場合)
。実際には、山上のレストランで休憩や食事を挟むと、ゆったり2時間ほど見ておくと安心です。

※登山道からの登城も可能ですが、初心者の方はロープウェイ利用がおすすめです。

ロープウエイ料金(2026年4月現在)
 大人(12歳以上)往復 1,300円 小人(4歳以上12歳未満)往復  650円

岐阜城の見どころ


岐阜城は、山城ならではの立地と眺望、そして戦国の歴史を感じられる見どころが詰まった城です。

岐阜城天守は、旧天守台上に築かれた復興天守です。天守台石垣は明治 43 年( 1910 )の 初代復興天守建設の際に積み直されたため、信長期の石垣はほぼ残っていないと推定されていました。岐阜城で信長期の本物の天守台石垣が最近発掘調査で見つかったとの報道があります。

① 天守からの圧倒的な眺望

岐阜城の最大の魅力は、金華山山頂に築かれた天守からの眺めです。
標高329mの山上からは、濃尾平野や長良川を一望でき、まさに“天下を見渡す”という表現がふさわしい景色が広がります。

この景色を実際に目にすると、この場所が単なる観光地ではなく、織田信長がこの地を重視した「戦略拠点」であったことが実感できます。

復興された天守からは濃尾平野と長良川を見ることができます。岐阜城は山城ですが長良川が天然の外堀の役割を果たして要害の度合いを高めているのが分かります。

② 山城ならではの地形と石垣

岐阜城は急峻な金華山の地形を生かして築かれた山城です。
天守周辺には石垣が残り、平城とは異なる防御の工夫を感じ取ることができます。

実際に歩いてみると、足元の傾斜や曲輪の配置から「攻めにくさ」を体験できるのも、この城の大きな魅力です。

本丸・天守に向かう通路を下から撮影。自然の岩盤に石を積み足して細長い曲輪の足場を補強しています。
岐阜城の主郭部は、平地が少なく険しい山道を攻め上らなければ攻略できない仕組みになっています。

③ ロープウェイで気軽に楽しめる山城体験

岐阜城は、山城でありながらロープウェイを利用すれば気軽に訪れることができます。山頂駅から天守までも整備された道が続いており、初心者でも安心して登城することができます。
一方で、登山道を選べばより本格的な山城体験も可能で、訪れる人のスタイルに応じた楽しみ方ができるのも特徴です。ただし、登山道を選ぶときは、あくまで登山として危険を伴います。登山事故に対する事前の入念な備えは怠らないように気を付けましょう。

写真頂上部の天守と、その右側の人工的な建物がロープウェイ山上駅です。駅から天守まで歩いて進みますが、この間も山城の防備の厳しさを体感できます。

▼ その他、初心者向けに楽しめる城としては
彦根城はこちらへ

豊臣秀吉と岐阜城|天下人への出発点になった城

岐阜城(当時の稲葉山城)は、豊臣秀吉が天下人への階段を駆け上がる重要な転機となった城です。


岐阜に織田信長の本拠があった頃、まだ「木下藤吉郎」と名乗っていた秀吉は、信長に仕える一介の足軽から出世した武将にすぎませんでした。
しかし、美濃攻略の中でその才能を発揮し信長から高く評価されるようになります。特に知られるのは「墨俣一夜城」の築城です。これは、敵地の目前に短期間で城を(砦)を築いたという逸話です。(諸説あり)

この流れの中で行われたのが、難攻不落といわれた美濃国主が籠る稲葉山城の攻略でした。

金華山の急峻な地形に築かれたこの城は、正面からの攻撃では落とすことが難しい要害でしたが、織田軍は側面からの奇襲などを駆使して攻略に成功します。
この戦いは、秀吉にとっての大きな飛躍のきっかけとなりました。

岐阜城の石垣。長平の石を積んでおり斎藤氏(稲葉山城時代)の石垣ではないかと思われます。

稲葉山城を手に入れた信長は、城の名を「岐阜」と改め、天下統一への拠点とします。そして秀吉もまた、この戦いを通じて信長の重臣へと成長し、後の天下人へつながる道を歩み始めました。

実際に岐阜城を訪れてみると、その険しい地形と見晴らしの良さから「なぜこの城が重要だったのか」を実感できます。
この場所こそが、後の豊臣秀吉の出世物語が大きく動き出した舞台だったのです。
天守からの景色を眺めながら、この地で秀吉がどのように戦い、評価を得ていったのかを想像すると、ただの観光地ではない歴史の重みを感じました。

天守の最上階から長良川上流方面を眺めます。

山城としての岐阜城|なぜ攻めにくかったのか

岐阜城は、金華山の急峻な地形を最大限に活かして築かれた山城であり、単なる高所の城ではなく「攻めにくさを」が徹底的に追求された構造を備えています。

険しい山道と崖地が生む防御力
登城路は全体的に傾斜がきつく、場所によっては崖に沿うような細い道が続きます。実際に歩いてみると、攻め上がる側は体力を削られ視界が効く上からの射的に晒されるので、守る側が圧倒的に有利であることが良く分かります。

さらに、崖地に築かれた石垣が視界を遮り防御の壁として機能している点も見逃せません。

本丸天守に向かうまでのいくつかの平坦地が曲輪になります。ここに城門を構えたり兵だまりを作り防衛の拠点にしていたのでしょう。
攻城側は崖地に沿って細い登山道を攻め上らなければなりません。崖上から石を落とされ弓矢を受ければ、急斜面の奈落の谷底へ落ちてしまいます。

曲輪を遮断する堀切と動線の防御
山上は曲輪(くるわ)が、要所に配置されており、それぞれの区画への進入口は堀切によって寸断されています。堀切は敵の侵攻を遮るだけでなく、進路を限定させる役割を持っています。
その間にかかる橋は、いわば通路の“一本化”であり、攻め手の動きを制御する重要なポイントです。

写真の橋の真下は堀切で人工的に遮断されています。山城ならではの仕掛けです。
現在は堀切をまたぐ形で、橋が架けられ先に進むようになっています。戦国時は橋下の堀底をかいくぐって、本丸に進入していたのでしょう。

石垣と岩盤を併用した防御構造
岐阜城では、すべてを石垣で固めるのではなく山の岩盤そのものを防御に取り込んでいます。
むきだしの岩盤は、それ自体が強固な障壁となり、石垣と一体になって防御力を高めています。
山上には古い石垣も残されており、当時の築城技術を今に伝えています。

自然の岩盤が、防壁になっています。石垣を築く必要がないのが分かります。
自然の岩盤の上に石垣を積み足して、防壁を完全なものにしています

本丸に至る“最後の難所”
本丸天守に続く道は、崖に沿った幅の狭い通路となっており、攻め手にとっては非常に不利な地形です。
横に兵を展開することができず、縦に連なるしかないため、防御側は少人数でも対応が可能になります。
実際に歩いてみると、この道が「最後の防衛ライン」であったことが実感できます。
岐阜城は、地形・石垣・動線を組み合わせることで、攻め手にとって極めて厳しい構造を持つ山城だったのです。

本丸・天守へ向かう細い部分の路肩を支える石垣は二段になっています。岐阜城が年代の古い石垣を持つ城であることが分かります。
岐阜城山頂の天守です。内部は広くはありませんが博物館となっていています。

写真では伝わりにくいのですが、実際にロープウェイ山上駅から天守まで実際に歩くと足元の不安定さや、階段、傾斜の厳しさに驚かされます。

実際に訪れて感じたこと|岐阜城を歩く体験記

今回の岐阜城訪問は、JR岐阜駅前からバスに乗り「岐阜公園・岐阜城」で下車するところから始まりました。
バスを降りるとすぐに金華山が目の前に聳え、その山頂に岐阜城があることがひと目でわかります。

JR岐阜駅前からバスに乗り「岐阜公園・岐阜城」で下車すると、金華山の天守を見つけることができます。

ロープウェイ乗り場から山上へは約4分。短時間で一気に高度が上がり、眼下に広がる景色に期待が高まります。

ロープウエイに乗ると麓部分の信長居館跡を上から眺めることができます。

山上に到着後、本丸・天守を目指して歩きます。途中の太鼓櫓があったと伝えられている曲輪跡には、レストランがあります。窓からの眺望が素晴らしい場所で、曲輪に登る階段を上がり飛騨高山ラーメンをいただきました。観光地の食事としては、実際にはしっかりした味わいで良い休憩になりました。

その後、本丸へ向かい天守へ。
天守からの眺望は想像以上で、濃尾平野や長良川が一望でき、思わず何度も写真を撮りたくなる景色が広がっていきました。
この高さと見晴らしの良さを体験すると、なぜこの場所が戦略的に重要だったのかが、自然と理解できます。

天守の入り口部分です。本丸部分はほとんど天守で占められているという印象です。
天守最上階からの岐阜市街の眺めです。

また天守周辺や下山途中の山道では山城特有の地形や井戸、石垣も確認でき、足元の傾斜や要所の曲輪配置から山城特有の「攻めにくさ」も実感できました。
写真では分かりにくいところもありますが、実際に歩くとその厳しさが良く分かります。

山城では飲料水の確保が死活問題になります。どこに井戸があり、どのように守っているのか知ることも大切なことです。
山城では、一般に石垣はあまり多用されませんが、岐阜城では本丸付近で築かれています。

再びロープウェイを利用し下山し、麓の織田信長の居館跡へ向かいます。
山上の城部分が、軍事拠点であったのに対し、この居館は政治や生活の場として機能していました。
現在は、発掘調査が進み石垣や庭園跡が整備されており、金華山上とは異なる落ち着いた雰囲気の中で、当時の様子に思いを巡らすことができます。

近年、発掘調査が進み、整備されている金華山麓の信長居館跡です。山上の山城との比較で是非見ておきたい場所になっています
信長の居館があったとされるところ。金華山を借景に、豪華な御殿建築群が軒をならべていたことが偲ばれます。

岐阜城は、山上の城と麓の居館をあわせて歩くことで、その本質がより深く理解できる城だと感じました。

写真は斎藤時代の居館の石垣です。岐阜城(稲葉山城)は山上が峻険で平地が少ないため、斎藤氏時代から麓に居館が設けられ政治を行っていました。信長時代と比べると積んである石も小さいことが分かります。
居館の出入口の構造です。直進して入れないよう土塁を設けています。
城内にある三重塔。安土城内にも摠見寺があり三重塔を見ることができまが、同じようなことを先の岐阜城で行っていたようです。信長は居城のなかに宗教色の強い建物を置く傾向があるのでしょうか。

岐阜城はロープウェイを利用することで気軽に訪れることができましたが、山上の地形は想像以上に険しく、山城としての厳しさも十分に感じられました。

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よくある質問(FAQ)

・岐阜城へはロープウェイを使わずに登れますか?
はい、登山道を利用して徒歩で登ることも可能です。ただし、岐阜城の標高は約329mですが、金華山は傾斜が急で道幅の狭い危険なところもありますので、登山の経験のない方や体力に不安のある方はロープウェイの利用をおすすめします。公式HPでは登山道の一部通行止めのお知らせのある場合があるので必ず確認しましょう。
岐阜城公式HPはこちら

岐阜城は雨の日でも楽しめますか?
見学自体は可能ですが、山道や石段が滑りやすくなるため注意が必要です。特に足元には気を付け、安全性の高い靴の選択や無理のない範囲での見学をおすすめします。

岐阜城の見学にかかる所要時間はどのくらいですか?
ロープウェイを利用した場合、1~2時間程度が目安です。山上のレストランでの休憩や、山麓の居館跡をゆっくり見学する場合は2時間以上見ておくと安心です。

岐阜城(山上の天守)と信長居館は両方見るべきですか?
はい。あわせて見学することで岐阜城の理解が深まります。金華山上の城が軍事拠点であるのに対し、麓の居館は政治や生活の場であり、役割の違いを体感できます。

初心者でも楽しめる城ですか?
はい、ロープウェイを利用すれば気軽に訪れることができます。一方で、山城ならではの地形や構造も体感できるため、初心者から城好きまで幅広く楽しめる城です。

まとめ|岐阜城は“出世の原点”

岐阜城は、金華山の山頂に築かれた山城としての迫力と濃尾平野を一望できる圧倒的な眺望をあわせ持つ城です。

しかし、この城の価値はそれだけではありません。
かつて稲葉山城と呼ばれたこの地は、後の豊臣秀吉が織田信長のもとで頭角を現し、天下人への道を歩み始めた重要な舞台でもありました。

実際に訪れてみると、険しい山道や石垣の構造からは山城としての防御力を、天守からの景色からは戦略的な重要性を実感できます。
そして、麓の信長居館跡をあわせて見学することで、軍事と政治の両面から岐阜城の本質を理解することができます。

ロープウェイを利用すれば初心者でも訪れやすく、それでいて本格的な山城の魅力も味わえる岐阜城は、歴史と体験の両方を楽しめる城です。

豊臣秀吉の出世の原点に立ち、その歩みを体感できる城として、ぜひ一度訪れてみてください。