伊賀上野城は危険?天守の階段と高石垣の注意点・見どころを徹底解説

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本記事では、伊賀上野城を訪れる前に知っておきたい見どころと注意点を、実体験をもとに解説します。


伊賀上野城は見応えのある名城ですが、天守の階段や高石垣には注意するポイントも多く、事前に知っておくことで安全に見学できます。

伊賀上野城の見どころである天守(昭和期木造建築)と本丸高石垣を、訪問体験をもとに詳しく解説しますが、階段の特徴や高石垣の危険性、見学時の注意点も写真付きで紹介します。
安全に楽しむためのポイントが分かる実用記事です。

まず結論|伊賀上野城はこんな人におすすめ

・高石垣の迫力を体感したい人
・天守に“リアルな怖さ”を感じたい人
・ただし、階段や石垣の安全面に注意できる人
 (特に小さな子連れ・高所苦手な人は注意が必要)

伊賀上野城の2階内部。現存天守を思わせる木造の落ち着いた雰囲気ですが、装飾性のある天井板が張られており現代建築であることを教えてくれます。
日本一、二の高石垣を見ます。一見して熊本城宇土櫓台の方が高石垣に見えますが、上野城は水堀の深い底から立ち上がっており、堀底からの通しの石垣高では上野城に軍配が上がるようです。

上野城を訪問する前に、基本情報をまとめました。
伊賀上野城 基本情報

所在地三重県伊賀市上野丸之内106
築 城天正13年(1585)筒井定次
慶長13年(1608)藤堂高虎
天 守昭和10年 木造復興(市有形文化財)
入 場 料大人600円 小人300円
見学時間60分
駐車場上野公園第1・第2・第3駐車場
(1回600円)

伊賀上野城の天守|木造復興の三代目天守

現在の復興天守閣は、当地選出の代議士、川崎克が私財を投じて藤堂氏時代の天守台に建てたものです。昭和10年(1935)に竣工した、昭和の復興天守です。外観については、他の復興天守(例:岡山城や小田原城)のように根拠になるものがなく模擬天守の部類にいれても問題ありませんが、再興された三代目天守ということで復興天守として扱います。
一般的に私たちが訪れる復興天守は昭和30~40年代の高度成長期にコンクリート造(RC造り)の物が多いのですが、この天守は戦前の木造建築ということで今日では伊賀市指定有形文化財に指定されており、現存12天守でもRC造復興天守でも味わえない独特の空間体験ができる天守です。

建設中に風雨で失われた二代目の藤堂高虎の五重天守台の上に建てられた三代目木造天守の姿です。
この写真は天正13年(1585)筒井定次による初代の三重天守があったと思われる高台(旧天守台)の位置を撮ったものです。

見学前に知っておきたい注意点

 天守内部|見た目以上に難所となる“降りの階段”
 この天守は、築城名人 藤堂高虎が築いた5重天守の大きな天守台上に、復興された3重天守です。天守台への入り口部分には石段を登らなければならず、これは結構な高さがあります。手すりがないので登段口に竹杖が親切に置いてあります。膝に不安のある私は、これをお借りしましたが、帰りの下段時に安全確保で役に立ちました。足元の悪い雨天時や踵の高い靴、高齢者には役に立ちます。

天守台の石段は、降りる際に手すりがないので要注意です。健脚の方は問題ありませんが、メタぼんの私はレンタル杖のお世話になりました。
天守台登りの左側に、さりげなく貸杖を置いてくれています。迷いましたが、膝痛持ちなので下りの際に役に立ちました。掲示板の登閣(入館)料金は2026年4月現在の物です。

小天守台に上がり、登閣料金を支払い大天守への短い石段を登り(ここは手すりあり)大天守一階に入ります。木造建築なので靴を脱ぎ下駄箱へいれて入館します。
内部は多種多様な展示品が多くあり、見ごたえがあります。

1階から2階に上る階段は、写真の通り幅広で急傾斜ではなく、手すり・絨毯・滑止め有り、踊り場も途中あるので比較的安全です。(ただし私は踏板に奥行きがあるので、つま先を上段の板にぶつけてしまいました。っ痛!)

天守の内部構造はは、天守建築らしく身舎と入側の構造で建てられており、古さも相まって、まるで現存天守に来たような落ち着いた雰囲気を味わえます。

木造建築で天守が築かれており、太い柱が使われているのも必見です。

天守は3重で内部も3階造りになっています。現存天守のような内装ですが、昭和の木造復興建築であることを感じさせたのは2階から3階への階段は昇り用、降り用と二つあることで、昇り階段から最上階へと向かいます。

天守最上階の3階の様子です。踏み台の上にあがって忍者の里、伊賀盆地を眺めることができます。

最上階からは、上野城と城下町、伊賀盆地全体を見渡すことができます。木造天守ならではのレトロな雰囲気を味わうことができますが、この天守でしかみられない個性として天井にはめ込まれた昭和初期の著名人の作品群があります。この作品群が、この天守が近代建築であることを思い起こさせます。

昭和初期の著名人による寄せ書きが天井に張られています。木造ながら現存天守とは異なった城内の姿を感じる部分です。

さてここで、注意点です。この天守はかなりの階高のある木造建築ですので、三階から二階への下り用階段は不安を感じる高さで注意が必要です。滑るようなことはありませんが、高所恐怖症気味の私は少し怯みました。階段手すりはありますので、焦らずゆっくり、一歩ずつ転ばぬように降りましょう。

これ、ちょっと怖かった2階への下り階段。「階段注意」と「頭上注意」の張り紙があります。

まとめ
上野城の天守見学の際は、滑りにくい靴を選び、特に下りは慎重に移動することをおすすめします。
高齢の方や足元に不安がある方は、無理のない範囲で見学すると安心です。

木造天守についてもっと知りたい方は、
「国宝5天守」記事へ
「彦根城」記事へ

② 本丸高石垣|絶景の裏にある“転落リスク”

伊賀上野城の本丸を囲む高石垣は、日本でも屈指の高さ(約30m)を誇り、圧倒的な迫力があります。しかし、その一方で、見学には細心の注意が必要です。

現地には注意喚起の看板が設置され、部分的に石列や簡易的な仕切りがありますが、完全に立ち入りが制限されているわけではなく、石垣の端まで容易に近づくことが可能です。

「注意」の立て看板と仕切り柵が設けられているのが見えると思いますが、石垣の端まで行くことが容易であるのも確認できると思います。お子様連れは気を付けてください。
本丸天守の裏側です。ここでも「キケン」の表示があります。
キケンな高石垣の堀端を撮影しています。この位置は大石で端を塞いであるので比較的安心ですが、良い写真を撮ろうと身を乗り出すのは、お勧めできません。

実際に覗き込むと、足がすくむほどの高さで、一歩踏み外せば重大な事故につながりかねない状況です。

特に注意したいのが、写真撮影時です。大人の常識的な判断能力があれば大丈夫ですが、強風時に景色に見入ったり、構図に集中した瞬間に足元への意識が薄れやすく、思わぬ事故のリスクがあります。

また、小さなお子様連れの場合は絶対に目を離さないことが重要です。石垣端部に容易に近づける箇所もあり、幼児が遊び感覚ではしゃいだり、高石垣を撮影中の家人に駆け寄ると非常に危険です。

年に一度、石垣の除草があるそうですが、私のh拷問時(2026.4.27)は植物が石垣に繁茂した状態でした。

伊賀上野城は、見ごたえのある天守と壮大な高石垣を備えた名城ですが、同時に“安全への意識”が求められる城でもあります。
絶景とスリルが隣り合うこの城では、一歩踏み出す前の注意が、見学の満足度を大きく左右するのです。
「これは油断すると危ない城だ」と感じました。

築城の背景|藤堂高虎による“大坂防衛拠点”としての城

伊賀上野城は、築城の名手として知られる藤堂高虎によって大規模に整備された城です。その背景には、豊臣方の大坂城に対抗するための防衛拠点としての役割がありました。

実際に、本丸を囲む高石垣の規模からは、戦を想定した堅固な構えが感じられます。しかし、大坂の陣の終結により軍事的な緊張が緩和され、城は最終的に未完成のまま現在に至りました。

藤堂高虎が築いた五重天守の建設は、一人ではなく五人の大工による分担工事でした。このことから階ごとに規格化された建物であることが理解され、その外観・構造が層塔式天守であったことが分かります。完成をひかえた1612年(慶長17年)9月の暴風(台風か?)により三重目が吹き倒れ、その上に五重目が落ちて天守は倒壊したそうです。結局、天守の再築は断念され昭和時代に現天守台の上に規模を縮小して三重で建てられています。

高石垣のある本丸の反対側では、まるで中世城郭のように地面を素掘りにしただけの大きな空堀を見ることができます。規模は大きいのですが、敵を寄せ付けない高石垣とは対照的な原始的な姿にこの城が未完成であったことが反映されています。

駐車場から本丸へ入城する通路から、巨大な空堀を確認することができます。要所でありながら石垣が用いられていません。

天守台石垣の裏側にある工夫|大量の栗石が担う役割

天守台の裏側には、大量の栗石が積み上げられている様子を見ることができます。

栗石とは、石垣内部に詰められる小石のことで、排水性を高めるとともに、石垣構造全体の安定を保つ役割を持っています。
この構造を知ってから高石垣を見ると、その安定性や高さの意味がより実感できます。

こうした見えない部分の工夫によって、あの高石垣が長年にわたって維持されているのです。

天守台の裏側に積まれた栗石の山です。高石垣や天守台石垣の崩壊時に備えてあらかじめ、この位置に貯蔵していたものと考えています。